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報道の魂SP 2016年8月21日 160821 投稿者 AkinaAA
普天間基地の移設をめぐり、国と沖縄県は再び法廷闘争に突入した。開廷前の集会で、演説する翁長知事を大声援で、県民が法廷に送り出す。沖縄のほかに、日本のどこにこんな光景があるだろうか。そして、一人の政治家と集まった
県民を一体感、高揚感が包む光景は、多くの県民にとってかつての沖縄を髣髴させるものだった。
ある人はこう語る。「あの時代があったからこそ、いまがある」
あの時代とは、事件事故、婦女暴行などを繰り返し、沖縄住民の人権もかえりみなかった占領米軍の圧政に立ち向かった時代。その経験が、いまの姿に結びついているという。その闘いの先頭に立った政治家がいた。その人物の名は、瀬長亀次郎。
演説には毎回何万もの市民が駆けつけた。影響力を削ごうと米軍が投獄しても、市民の支持はさらに高まり、亀次郎は、その後那覇市長に当選。激化するソ連との冷戦の中で、「赤い市長」と亀次郎を恐れ、さまざまな圧力で追放を試みる米軍との攻防が始まった。
銃剣とブルドーザーによる土地強奪に向き合った土地闘争は島ぐるみ闘争になり、そして日本復帰運動に結びついていったが、それをリードしたのが亀次郎だった。
亀次郎と民衆の闘いを伝える資料館「不屈館」の館長を務める、亀次郎の次女は「父は沖縄を団結させるためにやっていた」と語る。まさに、保守革新を超えたオール沖縄の原点といえる。
それから半世紀以上の時を経て、辺野古移設反対の民意に一向に向き合おうとしない政府と対峙する現代のリーダーに、県民たちもかつての亀次郎を重ね合わせる。
沖縄戦後の占領下で何が起き、亀次郎は、どう占領軍と対峙し、民衆はどう立ち上がり、復帰へ向かったのか、そして、その時代はいまの闘いにどう結びついているのか…瀬長亀次郎の姿を通して、数々の証言により沖縄戦後史を掘り起こしながら、現代の辺野古闘争に通じる沖縄とこの国の姿を浮き彫りにしていく。
ディレクター:佐古忠彦(TBSテレビ報道局)
不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料
http://senaga-kamejiro.com/index.html
瀬長亀次郎 - Wikipedia - https://is.gd/wkdPjh
瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 [1]- 2001年(平成13年)10月5日[2])は、日本の政治家。沖縄の本土復帰前からの同地区非合法日本共産党員、同党公然組織である沖縄人民党幹部。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。
コメント
コメント一覧 (3)
TBSには、もっと早い時間帯で再放送してほしいと電話しました。
ちばてつやさんの漫画からは、戦後、私の母も1歳の息子と中国から引き揚げてきたことをもっとちゃんと聞いておきたいと思いました。92歳、元気なうちに、と。
ちばさんの漫画、私は1年生のころ、「ユキの太陽」を読んでました。今読むともっとわかるかなぁと思いました。
是非お話をお聞きしていただきたいと思います。
「ユキの太陽」検索したら、面白そう!
ご本人のブログもありましたので、本文に追加で紹介しました。
そうそう、この漫画でした。あらすじは覚えてませんでしたが、絵はとても印象深いです。ちばてつやさん、お元気で嬉しいです。
今は便利ですね〜、ありがとうございました。