昨日の仕事は入谷地区の「南三陸農工房」で、ビニールハウスの
野菜の苗の定植の手伝いでした
 
写真の3人のお嬢ちゃんは工房のYさんAさん日野さん(仮名)です
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「南三陸農工房」とは不思議な名前ですが、株式会社です
自らも農業をやりながら、他県の農業に興味のある人や南三陸町に
興味のある人たちに農業経験をしてもらおう、という会社です→ 南三陸農工房

ツリーハウスや休憩小屋もあって、旅人が1夜の宿に使うこともできます
 
Yさんは、農業と南三陸の言葉と人情を教えてくれました
Aさんは、取れたて野菜をつかって、郷土料理のはっと汁を振る舞ってくれました
日野さんは、ボランティアが高じてこの工房に就職してしまった東京の若い女性で、
以前は新宿の高層ビルで事務職をしていたそうです

日野さんとYさんの、こんな会話がありました

日野さん・・・Yさん、湿度計が欲しい、湿度のデータを取りたい
・・・湿度測っでどうすっべ、なんのために取るんだ
日野さん・・・データというのは何の為に取るというものではなく、取り敢えず取るものなんです


南三陸方式と新宿方式が溶けて混ざって、素敵な「農工房」になる予感がしました

作業が終わって別れる時、3人の嬢ちゃんは、農道に立って、
私たちの車に向かっていつまでも手を振ってくれました

この4月から災害ボランティアセンターが普通のボランティアセンターに変わって、
毎水曜が定休日になりました
今日がその日です
今日は復興途上の、志津川の旧市街を歩きました

2011・3・11に、津波は巨大な水の壁となって、この海の向こうからやって来ました
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今は小綺麗に修復された入江にオモチャのような漁船が憩っています
盛り土の向こう側には、いち早く漁業関連施設が建ち始めています 
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盛り土の上を走っているのが本設の国道45号線で、
手前に見える架設道路はやがて土中に埋葬されます
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防災庁舎は災害遺産として残ることになりましたが、
回りの大地はその屋根より上にあります
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重機が2つ並ぶ地面の10メートル下に、志津川の旧市街が埋まっています
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取り敢えず市街のかさ上げが終わり、大地が完成しなければ、
この町の未来は見えてこないわけなんですが、工事は大きく遅れています
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その遅れの原因は、我らが脳天気首相の、
「アンダー・コントロール」で始まった東京蜃気楼オリンピックの、
国立競技場の破壊建設中断工事などに資材・労力を奪われたことにもあります

責任者たちは、戦中・戦後に確立した日本の伝統にのっとり、
無責任だけをしっり取って、ほっかぶりしました

この話は辛気臭くなるのでここで打ち切り

津波は、この鳥居の所まで来ました
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ここは、5行歌人、工藤真弓さんが宮司をしていた神社です
(工藤真弓さんの震災の5行詩は、ぜひともネットで見て欲しいものです)

社務所の側には、被災をまぬがれた小学校、中学校、
あるいは個人から贈られた椿の苗がありました
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 鉢に立てられた札の日付が2014年とあったので、宮司の真弓さんは、
余儀なく後にした神社に、昨年帰って来たのだと思います

真弓さんは、震災後に生まれた椿の苗たちが大木に育つ日を夢見ているのだ
と、感じました 
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