報告:スーパーポテ子さん
2014年3月、福島原発事故で埼玉に避難した被災者が国と東電を相手取り、損害補償請求訴訟をさいたま地裁に提訴、2014年6月の第1回から40回の口頭弁論を経て、今回結審となりました。
私は久しぶりの参加、枯れ木さんが来てくださいました。
17の傍聴席は抽選となり、枯れ木さんも私も運よく当たりましたが、遠方から来た人に譲った方も。
今回は原告、被告の国と東電、それぞれがプレゼンテーションを行い、2時間の長丁場でした。
裁判とその後の報告会では、東京新聞や共同通信などの報道関係者も出席していました。
被告のプレゼンは言い訳をだらだらと述べるだけで聞いていて怒りしかなかったのですが、特に東電は「もう賠償金は一銭たりとも払いたくない」という姿勢で、今回も5日前に急に原告ひとりひとりについて、避難の正当性を否定する500ページもの書面を送りつけてきたそうです。
避難したのは事故が直接の原因ではなく、たとえば「子どもの教育のため」「義父母との同居がうまくいかなかったから」「義父母を介護したくないから」「たまたま転勤になったから」だろうとし、今はみんな「平穏な生活」をしているからもう賠償金はいらないだろうというのです。
弁護士さんが挙げた一つの例です。
明るい性格で友達も多く、楽しく生活していた女性が事故で避難して生活が一変。
誰ともつながりを持てず、家の中に引きこもって「私は夫より先に死にたい」とまで精神的に追い詰められている。それに対し東電は「購入した大型テレビを見て一日中ゆったりと平穏な生活を送っている」と書いたそうです。
東電のプレゼンは、事故の過ちを認めず、反省も謝罪もないばかりか、避難者をおとしめているとしか思えませんでした。
報告会で原告の方が、「避難を決意する時も避難先でも、私達がどれだけ悩んで、どれだけ苦しんで、どれだけ涙を流してきたか、それぞれの背景にある思いを東電は全く分かろうとしない」と話していました。
東電は「事故の風化」という流れに乗り、なりふり構わず自己保身に走っています。
(それは、柏崎刈羽原発をめぐるずさんな態度にも表れていると思います)
私がこの裁判を応援するようになったきっかけは、福彩支援主催の「太陽の蓋」上映会で原告の生の声を聞いたことです。それから、できる範囲で裁判の傍聴、署名集めのお手伝いをしてきました。
その「裁判長に公正な判決を求める署名」は8920筆集まったそうです。
浦和スタンディング、埼玉リレーカフェなどでたくさんの方々にご協力いただきました。
原告の方が「8000人の見えない誰かが支えてくれた」とおっしゃっていました。
私からも改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
判決の日程はまだ決まっていませんが、その時はまたお知らせします。
「このような犠牲者を出さないためには、原発をすぐ止めることである」
福彩支援の方の言葉です。
コメント
コメント一覧 (1)
40回もの審理が続いてきたんですね。
枯れ木は、ポテ子さんの影響も受け、原告団にも加わってきましたが、傍聴に行ったのは数回でした。。
最初の頃は、傍聴席が40席くらい用意され、それでも抽選で傍聴できない人もいたようですが
40回目は、コロナの影響で17席の用意しかなく、抽選に並んだ人は26人だったようです。
残念ながら、世の中の関心が薄れてることを感じざるを得ませんでした。
被告の弁論ですが東電、国ともひどいものでした。
東電は、被災者の味わってきた、恐怖や窮地に思いを致し、寄り添うような言葉は一切なく
被害者をまるで不当に賠償請求をしているような口ぶりです。人の心を失った言いようで、東電の
姿勢がそうなのだなと想像されます。企業として存続する資格すらない企業であることを確信しました。
また国は国で、巨大な津波地震の発生により安全対策を上回る津波が発生するという知見を無視し、
安全神話の延長線上でしか判断せず、予見できたにも関わらず安全対策を怠ったのは明らかです。
判決は、賠償を認め被害者を救済し、国の責任を認める判決を強く望みます。
ただ、何の見識もない菅が突然、2050年カーボンゼロと宣言したのはいいとしても、その裏にカーボンゼロ実現の為原発が必要であるという原発容認のロジックに使おうとしているのは明らかであり、原子力産業をいかに残すかしか頭にない政権が続く限り原発は残り続けます。
このガラパゴス化した自公政権に終止符を打たなければ不幸は続きます。