8/9(月)大宮スタンディング、お隣さんは「憲法共同センター」 2021年08月10日 報告:びえほさん8月9日、OLDs@大宮と浦和スタンディングの有志2人が、大宮駅西口デッキでシッティングを行いました。しかし台風通過後とあって、強い突風が吹き、手持ちのプラカードも飛ばされそうになります。ということで、プラカードもしまい込んで、有志2人のトークタイムとなりました。5時頃、5,6人の高齢の男性が幟旗を立て始めました。「戦争法廃止」「憲法法を生かす署名」などの文字が見えます。さまざまなスローガンの幟旗が6,7本立てられるとなかなか壮観です。どうやら「憲法共同センター」の方々のようでした。 「スタンディング」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (2) 1. 寅次郎 2021年08月10日 14:34 びえほさんとは長いお付き合いをさせていただいてますけど、 この日のように、ベンチに座って、ゆっくり、 お話させていただく機会は、 とんとございませんでした それもそのはず、 似たような商いをやっているとはいえ、 たとえば、 びえほさんが、銀座白木屋さんならば、 あたしは、 白木屋さんの軒先をお借りして、零落した後家さんから買い叩いた結城を捌く露天商、 同じてえぶるで語るには、 身分が違いすぎますよってに この日は、 コロナさんやら、安倍さんやら、小池はんやら、菅はんやらの、 あんぽんたんのお陰さまで、 びえほさんとゆっくり話ができました あんぽんたんさんたち、 ありがとう まず、 お互いの病気の情報交換をいたしました これは、ひとつの共助です 公助さんが、あんぽんたんだから、言われなくとも、共助いたします それから、 オリンピックの話をいたしました 我々の業界では、今回のオリンピックを主催している者共は、いずれも、ゴロツキドロボーロクデナシというのは常識ですが、 テレビでオリンピックを見るかどうかはそれぞれの考えによります あたしなんざ、 2011年の春以来コロリと生活が変わり、それまでは好きだったオリンピックや野球はさっぱりテレビで見ることはなくなっていたけど、 今回のオリンピックだけは、 見たもんね 続く 2. 寅次郎 2021年08月10日 14:59 びえほさんが、 紙に印字した、横文字の、詩のようなものを、読んでいらしたので、 それは、西班牙語ですかと訊きましたら、 亜米利加語だと答えられました あたしも、 亜米利加語なら、 昔、進駐軍相手に、アルモノを、いひひ、 商っていたものですから、 少々、読んだり、話したりすることはできます それで、 その詩を、びえほさんに、あたしのお利口電話に、 いんたあねっとで送っていただきました Yerterday When I Was Young というたいとるの、 余命少ない亜米利加の爺さんが書いた詩でした 若い頃の自らの無知や無知や傲慢を悔やむ内容の詩でした 石のベンチでびえほさんは、 これはまるでボクのことを書いた詩のようだ、とおっしゃいましたが、 いやいや、 この詩は、昨日までのあたしのことを書いた詩に違いない でも、 自分の恥や無知に目を背けずに生きるのが、 時々は目を背けるけど、 人間の誇りってものじゃないかと自分に言い聞かせ、 もう暫く、恥多い人生を生きていこうと思います コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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コメント一覧 (2)
びえほさんとは長いお付き合いをさせていただいてますけど、
この日のように、ベンチに座って、ゆっくり、
お話させていただく機会は、
とんとございませんでした
それもそのはず、
似たような商いをやっているとはいえ、
たとえば、
びえほさんが、銀座白木屋さんならば、
あたしは、
白木屋さんの軒先をお借りして、零落した後家さんから買い叩いた結城を捌く露天商、
同じてえぶるで語るには、
身分が違いすぎますよってに
この日は、
コロナさんやら、安倍さんやら、小池はんやら、菅はんやらの、
あんぽんたんのお陰さまで、
びえほさんとゆっくり話ができました
あんぽんたんさんたち、
ありがとう
まず、
お互いの病気の情報交換をいたしました
これは、ひとつの共助です
公助さんが、あんぽんたんだから、言われなくとも、共助いたします
それから、
オリンピックの話をいたしました
我々の業界では、今回のオリンピックを主催している者共は、いずれも、ゴロツキドロボーロクデナシというのは常識ですが、
テレビでオリンピックを見るかどうかはそれぞれの考えによります
あたしなんざ、
2011年の春以来コロリと生活が変わり、それまでは好きだったオリンピックや野球はさっぱりテレビで見ることはなくなっていたけど、
今回のオリンピックだけは、
見たもんね
続く
びえほさんが、
紙に印字した、横文字の、詩のようなものを、読んでいらしたので、
それは、西班牙語ですかと訊きましたら、
亜米利加語だと答えられました
あたしも、
亜米利加語なら、
昔、進駐軍相手に、アルモノを、いひひ、
商っていたものですから、
少々、読んだり、話したりすることはできます
それで、
その詩を、びえほさんに、あたしのお利口電話に、
いんたあねっとで送っていただきました
Yerterday When I Was Young というたいとるの、
余命少ない亜米利加の爺さんが書いた詩でした
若い頃の自らの無知や無知や傲慢を悔やむ内容の詩でした
石のベンチでびえほさんは、
これはまるでボクのことを書いた詩のようだ、とおっしゃいましたが、
いやいや、
この詩は、昨日までのあたしのことを書いた詩に違いない
でも、
自分の恥や無知に目を背けずに生きるのが、
時々は目を背けるけど、
人間の誇りってものじゃないかと自分に言い聞かせ、
もう暫く、恥多い人生を生きていこうと思います