報告:枯れ木さん本日コトショク(子どもたちの食の安全を考える会・埼玉)の集まりがありました。
その流れで恒例になった浦和スタンディングを実施しました。
朝からの雨は幸いにも上がり、総勢7人でのスタンディングでした。
カナブンさんが駆けつけてくれました。有り難いことです。
通行している方からの反応は今ひとつだったのが残念でした。
久しぶりのスタンディングで、メンバー間の話は活発で、
そのなかでムツゴローさんの話が印象的でした。
絶望的な状況を絶望するのは健全で、
絶望しないことの方が絶望的である。と。
コメント
コメント一覧 (5)
ありがとうございました。
今日は参加できず残念でしたが、コロナ対策で本当に絶望的気持ちになる中で、みなさんがフツーに立ってくださるのは希望です。
コトショクの話し合いでも感じましたが、命、たべもの、タネ、農業、健康、環境、地球、経済、平和、などなど、みんなグルリと繋がっているのですね。そこに言葉や音楽、芸術もあって、ちっぽけな人間は、競って奪い合うのでなく、知恵を出し合い認め合って分け合うのが大事だと。
スミマセン、目が冴えてしまって、夢のようなことを考えてます…。
君ひとりじゃな〜い
仲間がいるのさ🎶
(イマジンby清志郎)
スタンディング、ありがとうございます。
ムツゴローさんのお話
「絶望的な状況を絶望するのは健全で、
絶望しないことの方が絶望的である。と。」
この言葉に力をもらい
絶望からの希望です。
いろいろ諦められません(^-^)v
コラム(折々のことば)から借りたものです。元の言葉は、デンマークの思想家
セーレン・キェルケゴールの、「絶望していないこと、換言すれば、自分が絶望していることを
意識していないことも、またまさに絶望の一つの形態である。」でした。
街を行く人々を見てふと思い出したので枯木さんに紹介しました。
コラムの最後は、鷲田氏の言葉でこう結ばれていました。
「時代の危機もおそらく同じで、危機を危機として受け止める感覚の消失こそ
真の危機なのだろう。」
取り込まれないことを伝えていきたいです。