ダムはダムの下流で大雨が降った時は役に立ちません。
また満水になって放流すると下流で洪水を引き起こす原因にもなります。

中村敦夫さんが川辺川ダム建設について、本質的なことを語っています。

写真は公式サイトより http://www.monjiro.org/
2020-07-21_21h09_40

◆中村敦夫 怒りん坊の閻魔堂会議
川辺川ダム建設は短絡的 洪水対策は進化するテクノロジー

(日刊ゲンダイ2020/07/17 06:00)  
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/276110

 それにしても、すごい豪雨じゃ。とくに九州地区は、昔から水難で知られていたが、今年の洪水を見ると、スケールが違ってきた。世界的にも被害が大型化しており、地球温暖化との関連がいよいよ濃厚になっておる。

 テレビでは、熊本県の球磨川氾濫がクローズアップされているが、一部の政権ヨイショ評論家が言うように、「川辺川ダムを造っておけば助かった」などという短絡的な話ではない。

 ダムが、戦後復興の有力武器であったことは間違いない。その機能は3つあった。

①は水力発電
②は工業、農業、生活のための利水
③は洪水対策の治水じゃ。

 インフラが整い、①と②の目的はかなり早い段階で達成された。しかしながらダム建設は、国土交通省に天下り先を提供し、ドル箱公共事業として、族議員や建設、土建業界の食いものと化した。ダム建設の是非が論議に上がったのは、2001年ごろ。それまでに完成されたダムは、なんと2734基にものぼった。

すでにダムの有用性は消失し、財政赤字と環境破壊の元凶として、負のイメージを背負っておった。しかし、「空いている川があったらダム化せよ」という国土交通省の宗教的熱情は、球磨川の支流・川辺川に向かった。予算3000億円の大型ダムじゃ。

 国土交通省は、治水に必要な基本高水流量を7000立方メートル/秒に設定した。調べると、それだけのダムが造れる支流は、川辺川だけだった。最初から、予算を食う「川辺川ダムありき」のペテンだった。

 百歩譲って計画通りのダムを造っていたとしても、今回の洪水を防げたかどうかも疑わしい。そもそも、ダムは放流時の制御が困難じゃ。1965年の氾濫は、球磨川の上流の市房ダムがオーバーフローし、大量放流をやったのが原因といわれておる。発電を目的とした下流の荒瀬ダムは、水底にヘドロと土砂をため込み、水面には汚いアオコが広がった。周辺に腐臭が漂い、水揚げされる魚は臭くて売りものにならんかった。漁師たちの抗議が高まり、ついにダムは撤去となったわけじゃ。最高の鮎を提供し、日本一の清流と称えられる川辺川にダムができれば、貴重な河川漁業も観光事業も壊滅じゃよ。

 洪水対策は、進化するテクノロジーで、河床掘削や堤防建設も可能。じゃが、被害スケールが今後も拡大一方であれば、全体的な国土計画を見直す選択肢もあるじゃろう。 

アメリカではダムが次々撤去され清流を戻しています。
日本では球磨川の荒瀬ダムが住民たちの要望がかない唯一撤去されています。

荒瀬ダム - Wikipedia
https://is.gd/Ozvoyz

発電停止と撤去工事開始による変化

2012年9月1日、撤去工事が開始された。その後は川の水がきれいになりはじめ、長年ダムに溜まっていた土砂が海に流れたことで、干潟でも生態系の再生が始まった。貝類の漁獲量が上昇し、姿を消していたウナギも獲れるようになった。 


国交省は川辺川ダム計画をハッキリ中止していません。
ダムに頼らない治水を全然進めてこなかったので、今回の被害を招きました。
冷泉彰彦さんが的確な指摘をされています。

◆脱ダム政策への賛否が問題ではない 球磨川治水議論への3つの疑問
(ニューズウィーク日本版2020/07/14 (火) 17:26配信) 
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ae16f7488d763773ccc7826eada40f49ca15bb6?page=1

<2000年代の「脱ダム」議論はコストだけが問題視されたのではない>


今回の熊本・人吉の水害に関しては胸の潰れる思いがしました。
以前、親の実家が人吉という知人に聞かされたことがあるのですが、この地域の人々は「日本三大急流」の1つとして球磨川を誇りにしています。川下りなどの観光資源、透明度の高い水質の清流、鮎などの水産資源などを大切にしつつ、とにかく川とともに生きるというのが、この地方のライフスタイルであり、その川が「暴れてしまった」中での悲劇には言葉もありません。

流域で50人以上の死者を出したなかで、あらためて治水問題が真剣に議論され始めたのは当然と思います。

ですが、脱ダム政策への賛否を中心とした現在の議論の延長に解決策があると思えません。
少なくとも3つの疑問が残るからです。

疑問の第1は治水政策に対して述べた、蒲島知事の反省の弁です。今回の被害を受けて、知事は「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった。非常に悔やまれる」と述べています。正直な発言と思いますが、この発言は簡単に受け止めることはできません。 何故ならば、2000年代に議論された「脱ダム」という一種の政治運動は、全国的な「ハコモノ行政」見直しの機運の中で起きたものであり、少なくとも中長期の財政規律への危機感などに支えられていたからです。

それにもかかわらず、この球磨川に関しては、ダム建設が高価だから反対論が優勢となって知事も断念したのではなく、むしろ「脱ダム」の方が高価だというのは意外感があります。
少なくとも、民主党(当時)などが主張していた「脱ダム」政策との整合性はあらためて問われるべきでしょう。

<球磨川は「資源」>

疑問の第2は、仮に極めて高価であっても「脱ダム」を選択したというのは、何故かという点です。

それは地域エゴとか利権誘導ではないと思います。
冒頭に述べたように流域の人々が、球磨川の流れに特別な思いを抱いていたこと、例えば鮎という水産資源を大切にしていたことなどが背景にあり、それが「高価であってもダムではない方策で治水を」という判断になったのだと思います。
今回の被災で急速に「川辺川ダム建設構想」が浮上しているのは事実です。

ですが、流域住民の意思として「清流への愛着」があり、それが一旦はダム以外の対策を選択することとなった事実は重いと思います。そこを無視して、被災したのだからダム派が巻き返せば政治的勢いにできるというのは、短絡的に感じます。

<「ダムさえあれば安心」ではない>


3番目の疑問は、仮に今回の被災を受けて、やはり「川辺川ダム」の建設に踏み切ったとして、ダムさえ作れば安心かというと決してそうではないということです。

例えば2018年の西日本豪雨の際、愛媛県西予市などを流れる肱川(ひじかわ)では、流域に降った雨量が想定を上回るなかでダムの緊急放水が行われたのですが、その際の情報伝達の問題から逃げ遅れた住民8人が犠牲になるという悲劇が起きています。 この肱川では、被災後に国と地元が必死になって改善策を協議し、その一方で犠牲の重さに対しては訴訟により責任問題の決着を図る動きも出ています。

とにかく、ダムさえ作れば安全ではなく、ダムによる治水を行った場合には、緊急時には放水を判断し、それを事前に下流に的確に伝えるなど「ダムの使い方のソフト」、つまりコミュニケーションの体制を維持していかなければなりません。
この球磨川の問題は「脱ダム」か「ダム建設」といった単純な選択肢の問題におさまる問題ではないと思います。

悲劇を受けて、活発な議論がされるのは良いことだと思いますが、ここはやはり現場の復興を進めるなかで、現地と県と国が選択肢を整理しながら合意形成していくことが必要だと思います。
冷泉彰彦(在米作家・ジャーナリスト)