安倍総理のおひざ元、山口県で長周新聞というメディアがあります。
2020-01-05_01h26_58-vert
権力に忖度しない言論機関。
真実を伝える

ムツゴローさんが「日頃考えていることを実によくまとめてくれていると感じました」と記事をおしらせくださいました。
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◆カネが支配する社会変える新時代の政治運動の始まり 
 ―年頭にあたってのご挨拶― | 長周新聞

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/15027 


 「今だけ、カネだけ、自分だけ」(東京大学の鈴木宣弘教授が発信)――。現代社会の刹那的な特徴を捉えた言葉として既に定着した表現ですが、この三拍子のなかにあるカネ(貨幣)とはなにか? 年頭から突然ではありますが、考えてみました。あるにこしたことはないし、なければ世の中を生きていくことすらままならない状況に追い込まれ、生存すら脅かすカネ――。本来なら交換手段にすぎないたかだか紙切れが、人を支配し、企業を支配し、社会全体を支配する――。そんな社会で私たちは時に精神をすり減らしながら暮らしています。紙切れをたくさん持っている一握りの者が社会の上層に巣食い、有り余りすぎてタックスヘイブンに隠匿したり、金融工学などを駆使して雪だるま式に「財産」として積み上げ、持たざる者はますます貧困のどん底におしこめられ、自殺や児童虐待、DV(家庭内暴力)といった悲劇にも直面するのが現実です。


 この紙切れがないものだから、未来がある若者たちは大学進学=借金奴隷のような境遇に叩き込まれ、日本国内では555万人もが300万~500万円もの奨学金ローンにあえいでいます。また、そのために結婚や子育てにブレーキがかかり、年間出生数はなんと120年前の明治時代よりも下回り、87万人まで激減しています。それ自体なんら価値などなく交換手段として登場したはずの貨幣が、一方に偏在しているためにみなが豊かに暮らせず、子どもを産み育てることができない。つまり社会の営みすら後退させる愚かな作用をもたらしているのです。日本社会のみならず、今や世界的にこの矛盾に目が向き始め、社会の桎梏となっていることが誰の目にも明らかになってきました。



 資本主義社会とはいかなるものか、強欲資本主義、金融資本主義などと呼称され、既に極限にまで「発展」した段階まできて、人類がより豊かに、そして平和に暮らしていける社会をどうすれば実現できるのか、民衆が過酷に搾取されて生きていけない世の中ではなく、みなが家族やコミュニティーのなかでそれぞれ社会に有用とされる仕事をして実態価値をつくりだし、何不自由なく安寧に暮らしていける社会はどうすれば実現できるのか。カネとはなにか? 価値とはなにか? を突き詰めて考えたとき、私たちはカネ(交換手段)のために働き、カネ(交換手段)のために生きているのではなく、人間が豊かに暮らすためにカネ(交換手段)があるにすぎないことに気付かされます。たかだか道具にすぎないではないか――と。


 右も左もシーラカンスといったら失礼かもしれませんが、第二次大戦後の二極構造を源流にした既に干からびた旧政治勢力に幻滅した状態に慣らされ、5割もの有権者が投票を棄権してきました。その幻滅のおかげで、安倍政府のようなどうしようもない政治体制が延延と続き、野党といっても八百長プロレスをくり広げているような有様で、ますますみなを幻滅させています。55年体制とその残渣が形を変えつつ風化と安住を重ね、結局の所、財界やアメリカの代理人政治に終始して、国民の心配をする者がいない。そして政治が国民から遊離して好き勝手をやっている――。それが今日の日本社会の停滞をつくりだし、国民の困難が増幅していることは明らかです。政治が人人の暮らしに心を寄せ、その困難を解決するために機能しているなどと思う人はおらず、むき出しの私物化が本質であることを昨今の下品な騒動の数数は教えています。対米従属の鎖につながれ、逆らいさえしなければ首が繋がるという弛緩した統治のなれの果てともいえるものです。


 このなかで、あきらめや不平不満の世界に溺れていくのではなく、みんなのために未来を拓く政治勢力を台頭させることが社会全体にとっての切実な要求であり、ちっぽけな党派制に縛られたり、高見からマウントをかけて評論ばかりしているというのでは話になりません。この変化の渦に飛び込み、“れいわ一揆”ともいえる下からの大衆的な行動機運を盛り上げていくことが、創刊の志を貫く選択であると私たちは確信しています。富める者に媚びへつらい、なにも伝えない、知らせないではなく、みんなにすべてを伝えたい、臆せずに思い切り真実を知らせたい――をやり続けます。