報告:ユナさん
第37回埼玉リレーカフェ「教えること、学ぶこと」第四回
第37回埼玉リレーカフェ「教えること、学ぶこと」第四回
いろんな子育て・学校に行かないという選択
参加者は26名。初参加の方が8名いらっしゃいました。
三人のお母さんがそれぞれのお子さんと学校との関わりを話しました。
Sさん:子どもは友だしとのトラブルをきっかけにして学校には行っていない。
しかし自分としては家にいても子どもは家の外に関心をもち、学んでいけると考えてい
る。
学校とは細々と連絡をとっている。
Eさん:子どもは学校に行ったり行かなかったり。
とにかく先生が怖いから学校に行きたくないと言っている。
他の子が先生に怒られているのを聞くのもいや。
だから先生にはもっとやさしくしてほしいと訴えている。
しかし先生には話が通じないと感じている。
Hさん:子どもは行きたいときだけ行っている。
意に沿わないことを強制されるのが本当にだめ。
そのストレスが体に出てしまう。
学校の担任は適切な距離をとってくれる。
会場からは次のような質問や意見が出ました。
・今の学校が授業が多すぎる。だから不登校は子どものストライキだ。
・越境入学を可能にしてしまえば、いやな教師から離れられるのではないか。
・たしかにひどい教師もいる。だから親が団結して、先生を糾弾すればよい。
・先生は多忙で、子どもの面倒をみることが難しくなっている。
だれかだけのせいというわけではない。
関心がある人たちが知恵をあわせればよいのではないか。
・学校に行きたくなければ、行かなくてよい。
行かない子が増えれば、学校もかわってゆく。
参加者の方たちが話題にした「みんなの学校」
参加者の方たちが話題にした「みんなの学校」
だれでも居場所があるところ。
日本の小学校が、みんなこんなになるといいのに。
映画の上映スケジュール→ こちら
木村元校長先生の動画です。
次回のリレーカフェも教育シリーズです。
9/21(土)「今、学校で何が起きているのか?」
日本の小学校が、みんなこんなになるといいのに。
映画の上映スケジュール→ こちら
木村元校長先生の動画です。
次回のリレーカフェも教育シリーズです。
9/21(土)「今、学校で何が起きているのか?」
コメント
コメント一覧 (7)
大変有意義な集まりだったと思います。
学校に行きたくなくなる事情はそれぞれ違いますが、様々な葛藤があり、その葛藤を親子で乗り越えて、
学校に行かないという選択を主体的にしてこられた経緯がよくわかりました。
普通に学校へ行った親子より、遙かに多くのことを学び人として成長されていると感じました。
それにしても今の学校教育の在り方が如何に時代の要請に合わなくなっているか、そして教育関係者が
そのことに対して適切な手を打てていないか、しかし、じゃあどうすればいいのか、簡単には答えが
見つからないだけにもどかしい思いがしました。
学校の問題に市民がどう関わればいいのか、手探りで進むしかないと思いますが、このような集まりがもっと必要ではないかと思った次第です。
家内と二人三脚で、『見沼田んぼ学園』やってます。
★『なっ諄子』
☆『はい、おとうちゃん!』
わけあって、見沼たんぼ学園の建物をアンポンタン夫婦に取られてしまったので、今は、移動教室で子どもたちを教えてます。
☆『くやしいなあ、おとうちゃん』
教える教科は、算数と国語と音楽と囲碁です。
☆『音楽はわたしが教えます』
★『諄子ちょっと黙っててくれないか?』
☆『はい、おとうちゃん』
当学園の教育理論は、ネコから教えてもらいました。長い間、ネコ方式で教えてきたのですが、ある時、ネコの世界は、子育て、教育においては、父ネコの存在が希薄なので、それではやっぱりまずかろうと思って、
今は、
カラス方式で教えてます。
当学園の生徒さんは、みなさん、チャーミングな不登校さんたちです。不登校の理由はみなさんビミョウに違うのですが、ハッキリしてるのは、
私が小学生だった時代なら、みなさん、普通に学校に通ったであろうということです。
当時は、家庭の中にも、家庭の外にも、学校の中にも、学校の外にも、野にも山にも田んぼにも、網目の大きさがさまざまな、子どもたちのためのセフティネットがあったんだと、私は思っています。
テレビの力も借りたりして、戦後何十年もかけて、私たちがズタズタにしてしまったセフティネットを、これから、みんなで、作り直していかなくてはいけないのかなあ、と思っています。
それを私たちがやらないと、
自分自身の教育もできない者どもが、あの戸塚ヨットスクールをまねた、アベヨットスクールなどというものを、国家規模で始めるにちがいない。
それはさておき、この日、『見沼はるかぜキッチン』で、
『あったらいいなを形にするITの便利屋さん』吉田理子さんの話を聴いてきました。
吉田さんは、ネットの危険性と正しい使い方を教えてくださった。
私は、せっかくの優れた人間性や才能を、コンピュータゲームですり減らしている少年たちのことが気になっていましたが、
吉田さんの話で、
子どもたちの脳を侵食するバーチャルインベーダーはゲームだけではなく、
ライン、ツイッター、フェイスブック、ティックトック、などの可能性があることを知って、焦りました。
見沼はるかぜキッチンからリレーカフェへの移動の電車の中で、
若いママさんがスマートフォンに夢中になっていました。
彼女の脇では、ベビーカーの中で、1歳そこそこの男の子が、タブレットを器用に扱っていました。
敵は、アベヨットスクールだけではない。
銃弾を頭に撃ち込まれたマララさんが憧れたガッコウが敵なわけがない。
敵は・・・
よく分からないが、とにかく、
小津安二郎や是枝裕和の映画の中の、一見無造作な、小物やセリフのように、私たちが、子どものためのセフティネットワークを、細心の注意をもって無造作にこしらえていかないとあかんとちがうのやないやろか?
★『なあ、諄子』
☆『そやなおとうちゃん。みんなも頑張ってるし、わたしらもがんばろう』
その最大の問題は、「つまらないかどうか」の客観性ある判断は不可能だということだ。
子どもたちの興味関心は様々であり、アンケートを取ったところで衆愚政治・ポピュリズムの悪い所に陥りかねない。「面白可笑しそうだからN国に投票する」というのとあまり変わらなくなる。
そもそも「つまらない話をする教員」個人には、それだけでは権力性ないですよ。
悪い評価をつけるなど制止したいのなら、もっと強く悪く作用しそうな相手に対してすべきだと思う。
むしろ、伝える方法が拙くても、
「この人は何を伝えようとしているのか」
洞察する、理解しようとする態度を子どもたちに
身につけさせるべきではないか。
それができないから子どもたちは、誰かを
分断したり、排除したりすることを学び、
不登校はむしろ増えていくことだろう。
もちろん子どもだから、どうしても聞く感性を
持てない者もいるだろう。
「話を聞く態度」というのも、喋ってうるさく
しなければ、寝ようがよそ見しようが放って
おくようにすべきで、いたずらに「直立不動」
など強要もまた不要だろう。
「失礼だから」ー何に対して「失礼」なのかも
本当のところは疑わしい。
小林節さんも仰っていた。
「多様性とは、同じになりたくなくても
放っておくことだ」と。
話す方も聞く方も基本どんなでも良い、
それが民主主義であり、多様性を認める
居心地の良い目指すべき社会であろう。
初参加の人が8人もおられ、且つ発言までされたという
のも驚きでもありました。
いかに問題が奥深く、当事者にとり苦悩が深刻であるということだろうと思います。
制度にも運用にも大きな問題があるのですが、制度を無理やり変えてきたのが、
カルト的なナショナリストとそれに担がれたあの方ですから、なかなか手強く,一筋縄
では行きません。
我々は何ができるかですが、当事者の子供たちとお母さんを孤立させることなく
関心を持って見守る事だとおもいます。
特にお母さんのケアーが重要だと感じてます。
今後も、今回のリレーカフエのような集会を通じ、苦悩を抱えるお母さんに参加
いただき、知恵を出しあいながら、参加されたお母さんが少しでも楽になり、
且つ皆で繋がっていくという機会を作っていくことができればと思いました。
ほんとに
権力のない(とくに、公立学校の)教師を、
権力者にしたてあげて、
正義の為、民草の為といいながら、
実は国家権力の為に、
かれら権力教師たちをしばきあげた市長さんが遠い昔にいたような気がするが、
教育の場に市場原理をもってきて、それでうまく行くと勘違いしてたはったり若武者が遠い昔にいたような気がするが、
あれは・・・だれだったけ
しんじさんが言う「放っておけ」は共感します。
ところで、「グーピタピン」(机に座る望ましい姿勢の標語、ポスターが教室内にはってある)やお辞儀の角度など学校が「態度」の指導に熱心なのはなぜかと考えていました。
テストの成績と違って、すぐに成果があがるからですかね。
でも自分の子どものときの経験からもそれが「フリ」であることは大人には自明だと思うのだけど。
あと親友達がいう「しめてほしい」という言葉が私は気になります。
高学年になると親の言うこと、教師の言うことを聞かなくなる。
だから「先生には(子どもを)しめてほしい」、「びしっとしかってほしい」という人がいます。
気持ちがわかなくもないけど、共感はできません。