ダムも、原発も、諫早湾の水門も、事業が破綻したとしても誰も責任を取りません。
まったく不要な公共事業がごり押しされる仕組みとは。

3月31日のリレーカフェ
で上映する「ほたるの川のまもりびと」の舞台は石木ダム予定地。

そこに住む人々がダムの事業認定取り消し訴訟を起こしています。
3月11日に第二回口頭弁論があり、弁護団はダムの必要性の根拠となる水需要予測の再評価を佐世保市が避けている事実を追求しました。
この再評価は5年おきに実施すべきものですが、2012年を最後に佐世保市は実施しようとしません。
下図の通り、佐世保市は水需要の実績とかけ離れた架空予測で、石木ダムが必要だとしています。
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再評価すると石木ダムが不要なことがわかってしまう。
だからこそ逃げているのでしょう。
このことについてわかりやすく解説しているのがこちら。
 ↓
◆控訴審 第2回口頭弁論 再評価を実施しないのは・・? : 石木川まもり隊
http://ishikigawa.jp/blog/cat01/4938/ 

その中で馬奈木弁護団長がなぜ公共事業で誰も責任を取らないのか解説しています。
なぜそこまで再評価を嫌がるのか?
それは、いま再評価をすると、石木ダムが必要という結果を出すのが難しい、それがよくわかっているからに他なりません。
2012年度の時でさえ数字合わせに四苦八苦したのに、これ以上は無理!と自認しているからでしょう。

しかし、どんなにあの手この手を使っても、2022年度には再評価をしなければならない。これは必須です。そして、それは石木ダムの完成予定年度です。

再評価の結果石木ダムは不要との結論が出ても、もう出来ているか完成間近…
その時、その責任は誰が取るのか?巨額の血税を無駄にした責任は誰が取るのか?
こうばるの住民を追い出し、暮らしもコミュニティも人生も破壊した責任は誰が取るのか?

土木部長か?知事か?佐世保市長か?佐世保市水道局長か?
誰も取らないし、取り得るはずがない。
取り返しのつかない事態になるだけ。

だからこそ、いま、その事態を回避するために、私たちは裁判で闘っているのです。

しかし、この闘いに勝つのは現実的にはたいへん難しい。なぜなら…

その理由の1つが「コッカムトウセキ」の論理だと、馬奈木弁護団長。

コッカムトウセキ?初めて聞く言葉です。調べてみました。

「国家無答責」=王は悪を為さず=国家に間違いはない、という戦前の論理。

違法な公権力の行使によって個人が損害を受けても、国が間違いを犯すはずはないので責任は負わない、という考え方。

戦後は、憲法17条で、「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる」と定め、この規定を実施するために国家賠償法が制定されたのです。

ところが、未だに国家は国民より上だと勘違いしている公務員が多く、それだけでなく、国と国民は対等平等であることをわきまえていない裁判官も多い。
だから行政訴訟で勝つのが難しいのだそうです。
そして続いて
私たちが勝つには「社会通念」が大事。
水俣病訴訟は社会通念=水俣病は国に責任があると大多数の国民が思っていた=で勝てた。
(中略)
やはり、とにもかくにも、石木ダム要らない!の世論をもっともっと大きくしなくちゃ…ですね。 (^^)/

こちらの動画もご覧ください。