報告:カナブンさん

10月27日飯館村を訪ねる旅バスツアーに行ってきました。
第3回「福島を忘れない!原発に故郷をうばわれて」
草加市の市民団体「キビタキとわらしの会」主催によるものです。

朝7時に草加駅前を出発
常磐高速道を北上、高速四倉で現況ガイドの菅家(かんけ)さんが乗り込む。
広野ICで一般道を行く。
楢葉町、第二原発入口、富岡町、第一原発入口、夜の森公園前、
大熊町、双葉町、浪江町、飯館村へとこの間バスで通過

菅家さん「原発事故の完全賠償をさせる会」
いわき市在住のガイド(バスの車中で)

観光バス会社はいわき市以北の進入は普通断る。
いわき市では稲作もやっているがほとんどが家畜用に使用。
3.11当時、第二原発はあと2時間遅れていたら第一原発と同じ事故になりました。
事故当時第二原発に行く道は地震で陥没して車は通行できなかった。
東電は資材を運んだのは陸路で行ったと発言しているので、それが避けられたのは地元住民も知らないうちに東電専用道路が作られていたからと思われる。

新潟県知事選で自民党系候補が当選しました。
この後第二原発の廃炉の決定がありました。
政府は福島第一原発事故のあと第二原発と柏崎刈羽のどちらかを廃炉することの方針で2か所の原発を天秤にかけ、東電に廃炉の選択させていた。
結果的に新潟県知事が自民党系になり柏崎刈羽を残すことにしたことで、福島第2原発廃炉の決定をしたのだそうです。

・オリンピックに向けて進行する事故の隠ぺい
楢葉町は3年目で解除されたが、居住者は原発関連作業員が6割、帰還民が4割。
被災地域は今2020年のオリンピックを目指して復興を進めています。
楢葉町のナショナルスポーツJビレッジでの競技、
聖火が走りだすことから特に6号線、高速道路、常磐線沿線はフレコンバッグの撤去(目に付かないようにする)が急がれています。
フレコンバッグが撤去された田んぼ、沿道↓
プレコンバック撤去の沿道
プレコンバック撤去の田んぼ
原発事故はなかったことにしたいのではないか、と。

夜の森公園は今でも7~8μSvがあります。
車中での線量計は2.4μSvありました。
モニタリングポストは国、県、市町村設置してあります。
国の設置カ所はコンクリート上なので他より低い数値がでます。
モニタリングを削減しようとしています。
これもオリンピック対策なのか、あまり多く目立つと怖がられるなのか知れません。

・原発作業の特需
楢葉町にある民宿やバス会社は以前は細々の経営だったが、今は作業員が送迎バスを利用するので
特需となっています。
海側沿いには福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想として廃炉研究所、医療関連、ロボット工学再生エネルギー研究などのベルト地帯を築こうとしており、地元の復興はそっちのけとなっている。

・津波対策がなかった福島第一原発
福島第一原発の外部電力は東北電力からの供給だったが地震で電源喪失してしまった。
二次的な非常電源のディーゼルエンジンは地下に設置されている。
アメリカの設計なので津波は想定されず、上空からのハリケーンなどを避けるように地下設置とされている。
アメリカ仕様では津波は防げず、不利になってしまいそのまま使用していた。
津波浸水は地震でドアが歪んででしまったり、蝶番の隙間から浸水してしまった。

生徒たちが高台に避難したにもかかわらず津波で被害にあったことがあったが、津波には凄い力がある。
高台に行く道は螺旋状に作られていたが、津波は高さを変えず、駆け上ってしまった。
女川原発では市民団体の申し入れがあったおかげ被害を免れた。
防波堤の根元は波で砂が積み重なって坂道状態が作られる。
そこで、この砂を除去することで難を免れた。

長谷川健一さん(元酪農家)飯館村交流センターにて
元酪農家の長谷川健一さん

・飯館村の酪農、現在の村の状況
酪農は以前76戸あったが全戸廃業した。
現在は地元で5人で700頭の牛を共同経営をしている。
以前にチェルノブイリの不法居住区にいってきた。
福島に戻るべきではない、危険区域に戻るべきではない、子供、孫たちは戻るべきではない。
自分は5月に戻った。父(86)と妻の3人の暮らし。
母は仮設住宅でひきこもりになり、認知症にもなり、急速に悪化していった。
事故前は6300人がいたが、今は高齢の900人しかいない。
畑は試験栽培でそばを作っている。(当日10袋持ってきたが完売)
そばの線量数値はNDだが6.1ベクレルは入っている。

2017年より除染土のフレコンバッグは2300万個ある。
今後、道路の資材として使うことになっている。
このうちの1割の235万個が飯館にある。
蕨平という所で草木などは焼却している。
今年になって飯館村は箱ものに多額の資金をかけている。
「いいたて村道の駅まいで館」は11億、オブジェに3000万、
この交流センターは9億、
飯舘村交流センターふれ愛館8月開館
オブジェに2500万かけている。

・生活のこと
元飯館中学校には今、幼児、小学生、中学生がスクールバスで通ってくる。
東京で有名なデザイナーの制服もタダ
元飯舘中学校
今大事なことは戻ってきた人のケアです。
介護、医療が問題となっている。
いいたてクリニックが開業したが、週2回それも午前診療で終わり、薬は隣の川俣町へ行く。
これならば始めから隣町へ行った方が一回で済む。
買い物も移動販売車が週1回、月曜4時ころ来るが誰もこない。
役場は業者と相談して個別販売で回らせればいい。
そんなこともやっていない。

・まだ高い放射能、報道されない汚染
山で山菜やマツタケが出るが、今年になって放射線量が上がっている。
マツタケで35000ベクレル、
さくらしめじで25000ベクレルとなっている。
研究所でもなぜ高くなっているのかわからないとしている。
問題なのは山菜やキノコの数値を報道しないことにある。
行政は食べないで下さいなどの広報もない。
ICRP(国際放射線防護委員会)は事故終息後の基準値は1~20mSv/年としているが、日本は幼児も
同一の20mSvの最高値を採用しているがおかしい。
昼間は残された家や畑を見回りで人がいるが、夜になると寂しいかぎりだ。
夜、車を走らせているとイノシシと衝突することがある。
イノシシの肉も何万ベクレルだ。
松塚地区では、農家の半数が離農し、ソーラー会社へ土地を貸し出しているが、ソーラーの耐用年数は20年、その後の収入は保障されない。
農地を借地する太陽光パネル会社


武藤類子さん(福島原発告訴団団長)
訴訟原告の武藤類子さん

・福島はいまも緊急事態発令のまま
一年経つと様相が変わっている。
一度失ったものを再建し、暮らしを維持していくのが日々の闘い。
高齢者がほとんど、帰還者が20%、あとの80%は戻れない。
事故から8年、緊急事態発令のまま。

・放射能汚染について
9万ベクレルもの汚染水を海に流して原子力規制委員会は福島の事故は無かった、もう安全だとしている。
モニタリングが0.10を示しても100m離れれば0.46もある。
原子力規制委員会はオリンピックに向けてモニタリング3000台を2400に削減し、数値を見せないようにしています。
草木は蕨平で焼却され濃縮された灰はフレコンバッグに詰められ300年も保管される。
福島は甲状線がんが3巡めで200人が見つけられた。
普通は100万人に1人だった。
増えている因果は不明とされ、回数を多くするから見つかると検査を縮小しようとしている。

・東電は逃げてばかり
2012年刑事告訴以来、元勝俣社長ら3人は2008年の高波予想警告を隠し、刈羽原発のバックチェックに莫大な費用がかかり、福島第一原発の対策を引き延ばした。
そして、見てない、知らない、聞いてない、記憶にないと逃げている。
多大な迷惑と裁判官に頭をさげ、原告には尻を向け、向き合おうとしてない。
検察も調査はしているが、証拠は出していない。

飯舘村交流センターからの景色
飯舘村交流センターから見た景色 

堀の中に積まれたフレコンバッグ
塀の中に積まれたプレコンバック

バスは19時30草加駅に到着解散となりました。

お知らせ
予告 3.11あれから8年福島を忘れないメモリアル普天間かおりコンサート
2019年4月7日(日)1時30分 草加市中央公民館ホール 一般3000円