報告:ケンちゃん

明け方はどしゃ降りの雨が降っていましたが、出発する時には止みました。
お世話になったのは「味ん宿・みちあい」。
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民宿としないところに、この宿のこだわりが感じられます。
100年以上続く神楽宿として、廻り神楽や旅人を泊める地域の宿のルーツを持っています。
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おばちゃんの話だと

以前は民宿もたくさんあったが、今はウチぐらいになってしまった。
消防法ができて厳しくなり、やっていけなくなった。
ウチもいつまで続くかわからないけど頑張ります。


おばちゃんは物識りで、大変活動的で地域の活動にも積極的に参加しています。
「みちのくトレイル」も歩いていて、
地元の人でも知らない人が多い。
トレイルはまだまだ整備されていないで迷惑をかけているが、よちよち歩きを始めたばかり、と思って欲しい。

レトロな雰囲気を残す村の床屋さんの前にバス停がありました。
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普代の駅まで村営のバスに乗りました。タダでした❗️

「田老駅」に行きました。
田老には、東日本大震災で被災した「たろう観光ホテル」が震災遺構として保存されています。

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田老地区は歴史上何度も津波の被害を受けてきました。
明治三陸地震(1896年)では15メートルの津波が襲い、死者・行方不明者は1859人と、当時の町の全人口の8割を超え、昭和三陸地震(1933年)でも911人の死者・行方不明者をだしました。
こうした経験から、田老では1934年から防潮堤の建設に着手し、1966年には全長2433メートルというX字型の巨大な壁となりました。1960年のチリ地震津波では防潮堤が津波を食い止め、田老防潮堤は万里の長城にも例えられ、一躍注目を集める存在となりました。
また、防災教育や防災訓練などさまざまな防災対策に力を入れ、「津波防災の町」として全国に知られるようになりました。

しかし、東日本大震災による津波高は田老地区で16・3メートルに達したとされ、防潮堤を越えて町を襲いました。すべての防潮堤が破壊され、多くの犠牲を出してしまいました。
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地元では『防潮堤がある安心感から多くの人が逃げ遅れた』『防潮堤で波が来ているのが見えなかった』などの証言もあり、皮肉なことに防潮堤の存在がマイナスに作用する結果をもたらすことになりました。
たろう観光ホテルは2014年、震災の教訓を後世に伝えるための震災遺構としての保存が決まり、宮古市に買い取られました。
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帰りに「津田写真館」に寄りました。
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しばらくは仮設店舗を開いていたそうですが、元の場所に新たに店を建てられました。

防潮堤の内側は家を建てても良いことになっているが、なかなか戻ってくる人はいない。
まさか防潮堤を越えて波が来るとは思わなかった。
店は全て流された。

店内には津波が押し寄せる生々しい写真が飾られていました。
復興への写真集を2冊いただきました。

今回のゴールは寅さんの予想通りに「浄土ヶ浜」でした。
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(そのまま「お浄土」に直行しても良かったのですが……)
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次回は宮古から南に向かう予定です。
(いつになることでしょう?)

「東北お遍路巡礼地」の碑もありました。
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「みちのく潮風トレイル」とは違った歩く道があるようです。
(最初探していたのはこちらの道でした)