報告:ケンちゃん

今日は朝から雨でした。
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雨の三陸海岸・岩手路もなかなか乙なものでした。
雨だからこそ見えてくるものがありました。
(多少の負け惜しみを含めて?)

「カンパネルラ田野畑駅」からサンテツに乗りました。
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駅の女性従業員(おばちゃん)は、切符販売、売店、レストランと一人何役もやっていて忙しそうです。
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『切符の販売窓口から顔を出してもらえませんか?』と頼んだのですが『いやー、私なんか…』とまた断られてしまいました。

「堀内駅(ほりない)」で降りました。無人駅です。
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この駅には「ほりない」の他に「袖ヶ浜」という駅名があります。
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テレビドラマの「あまちゃん」で「袖ヶ浜」という駅名で使われたのをそのまま標示しています。
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堀内から白井海岸駅まで歩く予定でしたが、雨のため急きょ「撮り鉄おじさん」に変身!
「あまちゃん」でもよく使われた「大沢橋梁」が間近に見える場所でシャッターチャンスを待つことに…。
時刻表通りの電車の前に1輌の電車が現れ、あわてて「カシャッ!」(たぶん団体専用列車)。
予定通り定時にやって来て、予定通り「カシャッ!」
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サンテツの粋な計らいでこの橋梁の上で一時停車し、車掌から説明がある。

「堀内駅」に戻り「譜代駅」まで。
「お食事処・いち龍」で昼食。
ワンタン麺を食したが、あとでパンフを見ると
「海産物たっぷりの浜ラーメンがお薦め」と出ていた。
『あ~あ!』

今回の目的のひとつが「譜代水門」を訪れることでした。
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「譜代水門」は譜代川の河口に建つ15・5メートルの水門。
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明治29年の津波で記録された15・2メートルの高さにこだわり、当時の町長の和村幸得が建設した。2011年の大震災では民家被災ゼロ、死者ゼロで「奇跡の水門」と呼ばれた。
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以前、NHKで歴史学者の磯田道史の番組で紹介され、一度は実際に見てみたいと思っていました。

和村村長は、戦後の民選で村長に当選し、10期40年という長さにわたり普代村のトップとして村の発展に尽力しました。
昭和8年の津波を経験した元村長は、明治29年の津波で記録された15・2メートルの高さにこだわりました。
財源や土地の活用に国からも村民からも反対の声が上がりましたが、『二度あったことは、三度あってはならない』と反対の声を説得し、高さ15・5メートルの譜代水門と太田名部防潮堤を実現させました。
2011年の東日本大震災の時は、津波による浸水を最低限に食い止め、村内の人的被害を死者ゼロ、行方不明者1に抑え、「奇跡の水門」と呼ばれ注目を集めました。
ただし、実際に到達した津波は高さ約20メートルで、水門を越えており、県道にかかる水門の陸甲(扉)が余震で緊急停止し、間一髪手動で閉めた経緯があり、より素早く高台に避難することこそが重要であることを忘れてはなりません。

《二度あったことは、三度あってはならない》
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いずれにしても、我々の命を守るためにも、首長は賢い人であってもらいたいものです。
今の日本は……?
泊まった民宿のお祖父ちゃんは、元村議で和村村長の仲間で、村長が辞表を懐にいつも忍ばせていたそう。
おばちゃんは『小学生の時に水門の除幕式に出た』と言っていました。

雨だと普段見えないものも見えてきます。
看板の無い床屋さん、
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壁にかかった面白いポスター、
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静かな港に行儀よく並んだたくさんの船、
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荒々しい海などなど。
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今回も「行き止り」に阻まれました。
地図には「階段を降りる」と書いてあったのですが、❌印が…。
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(民宿のおばさんに聞くと『階段が錆びて危ないから』とのこと)
そして、しばらく行くとまた行き止りで、道全体にロープが張ってある……。
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今度は「縄文時代の遺跡の発掘調査」のため。
三陸沿岸は縄文人が多く住んでいて、どこを掘っても遺跡が出てくるそう。

民宿の晩御飯は、刺身、秋刀魚、帆立貝、おでん、酢の物、尾頭つき汁、ビール付き。
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写真を撮っているとおばちゃんが『普通の食事だから…』

そして、昼食は「海産物たっぷりの磯ラーメン」でした。
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