報告:ケンちゃん

前回は青森県の八戸から岩手県の久慈市まで。
今回はその続きで岩手県の普代村から宮古市までの区間です。

昨晩10時に浜松町のバスターミナルから夜行バスに乗り、宮古駅に朝7時20分に着きました。
宮古駅から三陸鉄道で島越に行きました。
三陸鉄道は地元では「サンテツ」と呼ばれて親しまれ、文字通り地元の貴重な足となっています。
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大震災の時は、震災後5日で電車を走らせたというすごい会社です。
1輌はレトロな客車でした。
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島越は震災時、駅舎、高架橋、線路全てが流されてしまいました。
駅前は海水浴場として人気があり、駅舎も西洋風で大変人気があったそうですが、
駅に上る階段と宮沢賢治の碑だけが残されました。
今は、高台に新しい赤レンガの駅舎が建てられ、
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残った階段と宮沢賢治の碑は公園にありました。
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被災した人たちは、山向こうに団地を作り移住したそうです。
そのためのトンネル工事を今でもやっていました。

島越港から「北山崎断崖クルーズ」の観光船に乗りました。
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三陸海岸も宮古から北は、河岸段丘でできたので、
「海のアルプス」と呼ばれるほど断崖絶壁が続いています。
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それに比べて宮古から南は、入り江が複雑に入り組んでいるリアス式海岸になっています。

チケット売り場のおばさんにお茶をごちそうになり、しばしおしゃべりをしました。
『田野畑駅でお昼ご飯にしたい』と言うと、どんなメニューがあるか、電話で聞いてくれました。
『写真を撮っていいか?』と聞くと、『私みたいなもんが…』と拒絶されました。
東北のおじさんは、こちらの要望にしたがってポーズもとってくれるのですが、女性は奥ゆかしい(?)。

田野畑駅で食事をしました。
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岩手県はさすがに宮沢賢治の故郷。
島越駅は「カルボナード」田野畑駅は「カンパネルラ」という名前が付いています。
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食堂のおばさんと話しました。
『最近、トレイルを歩く人も増えてきた。つい先日来た人はラジオと鈴を持っていた。
けっこう熊の目撃情報がある』とのこと。
ラジオをガンガンかけて歩くのが良い、とは以前聞いたことがありますが、また怖い情報を教えてもらった!

山を降り明戸海岸に行きました。
明戸海岸には防潮堤の陸側に緑豊かな防潮林とキャンプ場がありましたが、わずか2本のアカマツを残して樹木も施設も流失してしまいました。
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人々が津波の脅威を忘れないようにと、壊れた防潮堤をそのまま保存して公園にしています。
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穏やかな海を見ていると津波の恐ろしさを想像することはできません。
震災の遺構を見て想像することも大事だし、話を聞くことも大事だと思いました。
泊まったホテルには、読書コーナーがあり、震災(津波)の本や漫画、写真集が置かれていました。点字で書かれた資料も5冊ありました。

今日は気温19度、快晴、無風の絶好の歩き日和でした。