浦和でスタンディングしている人たちの間でいま赤松小三郎ブームが起きています。
今日子さんの京都の赤松を偲ぶ旅→ こちら

赤松小三郎→ Wikipedia

勝者の歴史として美化された明治維新、その実態は
粗暴な長州の下級武士たちが起こしたクーデターでした。

拓殖大学の関良基先生による赤松小三郎とその時代の解説です。

IWJの番組の関先生へのインタビューのイントロです。
 



興味のある方は会員になると一か月より前の番組は1本50円で見られます。
◆赤松小三郎 | IWJ Independent Web Journal
https://goo.gl/B88tci


現在、衆議院憲政会館で赤松小三郎が島津久光に提出した建白書「御改正口上書」のレプリカが展示されているそうです。
◆シリーズ特別企画展示のご案内 9/1(土)~12/27(木)
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kensei/tokubetsukikaku.htm 

◆今秋憲政記念館が特別企画展で赤松小三郎建白書を展示
- 代替案のための弁証法的空間(関良基先生のブログ)
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/e8fde678d5374530d103437866733280 

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龍馬の『船中八策』は明治以降の創作、元は赤松の建白書であろう、とのことです。

◆坂本龍馬より時代に先駆けた赤松小三郎 暗殺犯の黒幕は西郷隆盛だった
〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/wa/2015102900050.html?page=1 

「春嶽と土佐の山内容堂は仲が良かったのでしょっちゅう会って話し合っており、春嶽がこういう建白書が届いたと教えた可能性があります」(青山教授)

 これに対して赤松小三郎研究会の丸山瑛一会長から「坂本龍馬がその1カ月後に書いた『船中八策』では赤松が議政局と書いた用語が使われている。赤松の建白書を模倣したものではないか」という質問が出た。それを受けて知野文哉氏がこう解説した。彼は龍馬の伝説部分をそぎ落として史料に基づいた『「坂本龍馬」の誕生』を書いた著者だ。

「坂本龍馬が船のなかで書いたと言われる『船中八策』は明治以降の創作です。維新後に薩長閥から政治的に冷遇された土佐出身の政治家が功績を強調するために龍馬の活動を誇張して膨らませたのでしょう」

昨日、枯れ木さんがこの展示を見に行ってコメント欄で報告してくださっているので転載します。

報告:枯れ木さん
本日憲政記念館に、赤松小三郎の建白七策が展示されていると管理人さんに聞き、早速見に行ってき
ました。
憲政記念館は、国会前集会で庭とトイレまでは入ったことがあったのですが展示物を見るのは初めてです。

展示室は2階
あがると真正面にでっかい菊の御紋章。
その横に映写室。
維新の三英雄、西郷、木戸、大久保のお話と、伊藤博文の裏の部分は当然解説はなく、都合の良いところだけつまみ食いし、近代国家として、アジアで初めての議会政治を樹立したという話を見せられます。
話しは、五箇条の御誓文から始まります。
そこに至る話は一切ありません。

次に展示室です。
中央の島には、時代別に、黒船来襲から維新にいたる経過を、時々の公文書らしきもののレプリカが時代を追って展示解説されています。
壁には、維新の立役者の業績の解説と書が展示されてます。
最初は予想通り、吉田松陰から始まります。
そして、福沢諭吉、東郷平八郎あたりで最後かと。
ほぼ中央あたりに、とってつけたように、赤松小三郎の建白七策が展示してありました。
上田藩の下級武士の二男として生まれから始まり、苦労を重ね、英国の兵法を学び、尊王派、攘夷派分け隔てなく教授し、立憲主義的な考え方の国家統治の考え方を時の主要な藩主に建白したと言う解説の最後に暗殺されたとだけ記載。

誰に、どのような勢力に暗殺されたかと言う記述はなし。
小三郎の展示の横に、多分品川弥二郎の展示があったようですが、
殺した側と、殺された小三郎が隣り合わせに展示されております。
ブラックジョークです。
憲政記念館はどういう思いで展示したのか判りませんが、英断には違いないと思います。
ただ、小三郎を展示したのなら、維新の流れの中で、小三郎の果たした役割、歴史的な評価と言ったものも解説してほしいなと思います。

この展示は、維新の志士を礼賛し、昭和に至る議会の歴史を展示しています。
時代別にたどっていくと、日清戦争から太平洋戦争まで、戦争の原因は明治維新にあることがよくわかります。

館内はほとんど人がおらず、ただ一人、忙しそうに展示物を見ている人がいました。
よく見ると、小三郎を世に知らしめた、かの大学教授でした。
「講演会聞きに行きました、浦和からこの展示会見に来ました、
 仲間内で赤松小三郎所縁の地を歩こうという計画があります」
と言った話をしたところ、大層喜んでくれました。
次の著作に現在取り組んでおり、近いうちに刊行されるようです。
全く予期せぬことが起こり、思いもよらない収穫がありました。
思い立ったらすぐに行動すると、いいことがあるようです。

赤松の生まれ故郷の人たちは赤松をとても誇りにしています。
赤松を調べ郷土の偉人とした元教師の方の映画をみると、なぜ京都のお墓が上田に移されたか経緯がわかります。
  

momoさんは10年前から上田の和菓子屋さんで赤松小三郎の話を聞いています。
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◆上田の和菓子屋さんの倉田菓子舗
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赤松についての本
◆龍馬の影---悲劇の志士・赤松小三郎 | 江宮 隆之