アーサー・ビナードさんが原発の講演会で、このようにお話していました。
今回のドキュメンタリーは、そのことを具体的に、映像として見せてくれました。
関わった科学者たちの野心や恐怖が原爆開発の大きなモチベーションになっています。
また戦時における国家の兵器開発の秘密組織として、日本でも登戸研究所があります。
やはりそこでも恵まれた環境の中で人間的な良心は忘れ去られ、戦争に勝つために狂気の研究が推し進められました。
2時間弱の動画を見る暇のない方は、ごく簡単なまとめをのせましたので、どうぞ。
BS1スペシャル
“悪魔の兵器”はこうして誕生した〜原爆 科学者たちの心の闇
エリート科学者だったロバート・オッペンハイマーは、ノーベル賞に手が届かず焦燥感を持っていた。
名誉を渇望していた彼は核兵器製造の現場責任者のポストを得る。
ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人科学者のレオ・シラードは、身をもって体験したナチスへの恐怖からドイツの核兵器開発に危機感を持ち、アメリカが核兵器を造らなければとアインシュタインを巻き込んで大統領に働きかける。
ヴァニーバー・ブッシュは、ルーズベルト大統領の側近で科学顧問、さまざまな兵器開発にまい進した。科学会のドンと言われたブッシュは戦争に貢献し科学者の地位をあげるという目的を抱いて、原発計画を大統領に進言。
ブッシュが大統領に直談判して作らせた「科学研究開発局」が兵器開発を担っていた。
議会の承認を得ずに大統領からOKをもらい原爆開発がスタートする。
1943年4月ロスアラモス研究所が完成し秘密の6000人の町が生まれた。
科学者の桃源郷。豊かな暮らしと一流の科学者が集まったハイレベルの環境。
議会でトルーマン(次期大統領)が原爆開発予算を不正支出を疑う。
ルーズベルトと科学顧問のブッシュは戦争が終わるまでに原爆が開発されなければ窮地に陥ると危機感を持つ。
ドイツのありもしない核兵器開発に対抗してマンハッタン計画を立ち上げたタイミングで、実は戦費がかさんでいたドイツは1942年6月に核兵器開発を断念。
ドイツへに対抗するために開発がされていた核兵器だが、ドイツが断念したと知っても開発は続けられた。
科学者たちの間から疑問が生まれていた。
科学者たちが開発続行の是非を話し合う集会にオッペンハイマーが出てきて、毎回「核兵器の恐ろしさを見たら戦争は起こらなくなり世界平和に貢献する」と説得した。
原爆を完成させるために新たな目的が生まれた。
科学者たちは誰も脱落しなかったが、完成させるために時間との戦いとなった。
4月12日、ルーズベルト大統領が急死。
後ろ盾のルーズベルトを失ったブッシュは戦後に巨額の費用をつぎ込み役に立たなかった核兵器開発の責任者として批判の矢面に立たされることを怖れる。
副大統領から大統領になったトルーマンは初めて陸軍とのミーティングで20億ドル原爆開発につぎ込んでいることを知らされる。
ブッシュは多額の開発費をかけた原爆を投下し、その意義を知らしめなければ責任追及は逃れられないと焦り、原爆を使うことについてトルーマンと国務長官バーンズを説得する。
投下推進派だけの科学者と政治家で作られた暫定委員会で原爆の使用法を話し合った。
目的は「可能な限り多数の住民に深刻な心理的影響を与えるべき」と決められた。
そこで住宅に囲われた軍需工場に落そうと決められた。
降伏は時間の問題とみられていた日本に。
戦後ブッシュが語った言葉
開発開始から4年、難問だった32か所の起爆装置が機能しついに実験成功。
その成功をトルーマンはポツダム会談で戦後秩序のリーダーシップに利用しようと考えた。
原爆を最初に提案したシラードらシカゴ大の科学者たちが原爆を日本に直接投下するのでなく、デモンストレーションで見せつけて、直接投下すべきではないと暫定委員会に意見書を出す。
反対する彼らも社会に対する告発する者はいなかった。
1945年8月6日、広島に原爆投下。
オッペンハイマーは軍のグローブスからの電話に祝意を伝える。
科学者たちの間では、多くの被害者の存在に気がつき恐れおののいた。
しかし3日後、量産しやすい原爆が長崎に落とされた。
オッペンハイマーは戦後英雄になって、プリンストン高等研究所所長に就任し国の原子力政策にも携わったが、赤狩りで公職追放となった。
レオ・シラードは核軍縮運動をした。
ブッシュは原爆開発を通して結びついた軍と科学界の関係をよりいっそう強化しようとし、自ら創設した軍事ミサイルメーカーは世界一となり売上額は年間2兆円にのぼる。
原爆は落す必要が無かった。
議会に承認されずに大金を投じてやっていたので、使わないで戦争が終わったら責任追及されるので、大急ぎで作って落し、戦争終結のためと嘘を広めた。
アメリカにとっては広島型でなく量産できる長崎型が重要。
今回のドキュメンタリーは、そのことを具体的に、映像として見せてくれました。
関わった科学者たちの野心や恐怖が原爆開発の大きなモチベーションになっています。
また戦時における国家の兵器開発の秘密組織として、日本でも登戸研究所があります。
やはりそこでも恵まれた環境の中で人間的な良心は忘れ去られ、戦争に勝つために狂気の研究が推し進められました。
2時間弱の動画を見る暇のない方は、ごく簡単なまとめをのせましたので、どうぞ。
BS1スペシャル
“悪魔の兵器”はこうして誕生した〜原爆 科学者たちの心の闇
エリート科学者だったロバート・オッペンハイマーは、ノーベル賞に手が届かず焦燥感を持っていた。
名誉を渇望していた彼は核兵器製造の現場責任者のポストを得る。
ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人科学者のレオ・シラードは、身をもって体験したナチスへの恐怖からドイツの核兵器開発に危機感を持ち、アメリカが核兵器を造らなければとアインシュタインを巻き込んで大統領に働きかける。
ヴァニーバー・ブッシュは、ルーズベルト大統領の側近で科学顧問、さまざまな兵器開発にまい進した。科学会のドンと言われたブッシュは戦争に貢献し科学者の地位をあげるという目的を抱いて、原発計画を大統領に進言。
ブッシュが大統領に直談判して作らせた「科学研究開発局」が兵器開発を担っていた。
議会の承認を得ずに大統領からOKをもらい原爆開発がスタートする。
1943年4月ロスアラモス研究所が完成し秘密の6000人の町が生まれた。
科学者の桃源郷。豊かな暮らしと一流の科学者が集まったハイレベルの環境。
議会でトルーマン(次期大統領)が原爆開発予算を不正支出を疑う。
ルーズベルトと科学顧問のブッシュは戦争が終わるまでに原爆が開発されなければ窮地に陥ると危機感を持つ。
ドイツのありもしない核兵器開発に対抗してマンハッタン計画を立ち上げたタイミングで、実は戦費がかさんでいたドイツは1942年6月に核兵器開発を断念。
ドイツへに対抗するために開発がされていた核兵器だが、ドイツが断念したと知っても開発は続けられた。
科学者たちの間から疑問が生まれていた。
科学者たちが開発続行の是非を話し合う集会にオッペンハイマーが出てきて、毎回「核兵器の恐ろしさを見たら戦争は起こらなくなり世界平和に貢献する」と説得した。
原爆を完成させるために新たな目的が生まれた。
科学者たちは誰も脱落しなかったが、完成させるために時間との戦いとなった。
4月12日、ルーズベルト大統領が急死。
後ろ盾のルーズベルトを失ったブッシュは戦後に巨額の費用をつぎ込み役に立たなかった核兵器開発の責任者として批判の矢面に立たされることを怖れる。
副大統領から大統領になったトルーマンは初めて陸軍とのミーティングで20億ドル原爆開発につぎ込んでいることを知らされる。
ブッシュは多額の開発費をかけた原爆を投下し、その意義を知らしめなければ責任追及は逃れられないと焦り、原爆を使うことについてトルーマンと国務長官バーンズを説得する。
投下推進派だけの科学者と政治家で作られた暫定委員会で原爆の使用法を話し合った。
目的は「可能な限り多数の住民に深刻な心理的影響を与えるべき」と決められた。
そこで住宅に囲われた軍需工場に落そうと決められた。
降伏は時間の問題とみられていた日本に。
戦後ブッシュが語った言葉
開発開始から4年、難問だった32か所の起爆装置が機能しついに実験成功。
その成功をトルーマンはポツダム会談で戦後秩序のリーダーシップに利用しようと考えた。
原爆を最初に提案したシラードらシカゴ大の科学者たちが原爆を日本に直接投下するのでなく、デモンストレーションで見せつけて、直接投下すべきではないと暫定委員会に意見書を出す。
反対する彼らも社会に対する告発する者はいなかった。
1945年8月6日、広島に原爆投下。
オッペンハイマーは軍のグローブスからの電話に祝意を伝える。
科学者たちの間では、多くの被害者の存在に気がつき恐れおののいた。
しかし3日後、量産しやすい原爆が長崎に落とされた。
オッペンハイマーは戦後英雄になって、プリンストン高等研究所所長に就任し国の原子力政策にも携わったが、赤狩りで公職追放となった。
レオ・シラードは核軍縮運動をした。
ブッシュは原爆開発を通して結びついた軍と科学界の関係をよりいっそう強化しようとし、自ら創設した軍事ミサイルメーカーは世界一となり売上額は年間2兆円にのぼる。
「NHKドキュメンタリー “悪魔の兵器”はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」
— 志位和夫 (@shiikazuo) 2018年8月18日
科学者たちが、名誉欲、権力欲から開発に熱中、罪なき人々が殺戮されることへの想像力を欠いていたことが衝撃的に明らかにされた。大量虐殺への歴史的検証と追及を続けなければならない。https://t.co/SLm6fd6ahU
コメント
コメント一覧 (4)
……オッペンハイマーに対する怒りが沸々と…
原爆開発〜投下に関わった人間全員、墓場から生き返らせて8月6日の原爆投下前の広島に立たせてやりたいと思いました……なんて書くと野蛮かしらん?
ブッシュがその後アメリカを軍事国家化したことの罪も計り知れないと思います。
また彼が主導した科学研究開発局の日本向けの兵器は有色人種への差別を感じます。
焼夷弾は日本家屋の効率のよい燃焼を目指しており
東京女子大学の礼拝堂を建築したレーモンドが焼夷弾の研究に参加しています。
10万人の一般人が一夜にして死んだ東京大空襲があったのが3月10日。
アメリカの科学研究開発局の科学者たちは、敵がアジア人だから罪の意識が違っていたと思います。
そう、アーサー・ビナードさんからこの話を聞いたのは、あら?
3.11の前だったかな?
かなりの衝撃で、講演を聞いたノートはビッシリ
アーサーさんが、あんまり詳しいのでビックリ!
アーサーさんのお話でもう一つ付け加えれば、広島に落としたウラン型原爆は、
太平洋戦争初めにほぼできていたこと
原爆のゴールは、プルトニウム爆弾で、その開発に時間がかかったので、
戦争を長引かせたこと
広島に落としたウラン型は、出来ちゃったから落としたもので、長崎に落とした
プルトニウム型が本命だったこと
そして、実際に落としたパイロットの証言は、
「空襲は何百機も飛ばさないといけないけど、原爆は1機ですんだ」と
自衛隊を軍隊と認めて、戦争できる国にしようとしているけど、
戦争が始まったり、エスカレートしていく過程には、個人的な欲が絡んでいることが多いですよね
憲法改正の前に、日本人は、特に若い人は、過去の戦争でどれだけの被害があったかと
どれだけの虐殺をしてきたかという事実を、しっかり検証するべきです
そして、戦後も傷痕はずっと残るものだということを知るべきです
そのうえで、日本は「戦争ができる」を選ぶのか?考えてほしい
開発に夢中になっていた,予算規模から止められなかったという理由も正しいかもしれんが,頭のいい人達だから,そういう立場の持っていきかたを考えなかったわけじゃないだろうな.人類史をみれば,虐殺も時間が解決していずれは歴史上の一事件に過ぎなくなることも悟っていただろうな.