書き起こし:るーさん
憲法を求める人びと 1 前川喜平
佐高信(週刊金曜日 2017年11.3号)
憲法を求める人びと 1 前川喜平
佐高信(週刊金曜日 2017年11.3号)
たたずまいというのは、ある意味で恐いものである。
前川が姿を現しただけで、加計学園の問題で首相の安倍晋三とそれに盲従する官僚たちのウソが明らかになった。
その前川が東京大学法学部の学生時代、最も熱心に聴講したのが芦部信喜の憲法だった。安倍がその名を知らないと告白して話題になった憲法学の泰斗である。
前川は民事訴訟法や商法等には興味が持てなった。それは前川が‘詩人’だったからだろう。
ここに1冊の詩集がある。1981年に出された『さよなら、コスモス』である。作者が秋津室(あきつむろ)で挿絵が原一平。共に前川の筆名で前川の生まれた奈良県の地名などに由来している。当時、前川は26歳だった。「コスモスよりもコスモスのような人へ」と献辞があるが、つまり最初で最後のこの詩集が前川と結婚した人に献げられたものだった。
「新しい朝に」の中の詩の一節だけ引こう。
語るべきことがない時にあえて語ることはいつわりを語ることだ。だから今は僕は君に愛を語ることはできない。喧騒と焦燥に埋め尽くされた今の僕から出てくる言葉は全きいつわりかさもなくば救い難い饒舌だ。だから今は僕は何も語らない。
そんな前川は学生時代、東大仏教青年会に入っていた。悩める青年はまた、宮沢賢治にも親しみながら、自らの拠りどころを固めていく。
本誌10月6日号掲載の座談会で寺島実郎が指摘しているように、「記憶にない」を連発した柳瀬唯夫や和泉洋人らの現官僚や元官僚は「組織の論理」に徹して安倍を守ったが、そうするには前川は「自分の言葉」を持ち過ぎていた。
組織に埋没して自分を消すことはできなかったのである。
前川は憲法の精神を生かすために文部省(現・文部科学省)に入ったが、この省はイデオロギーの波に激しく揺さぶられるところであり、特に教育基本法の改編の時は辛かった。その改編に前川は反対なのに大臣官房総務課長として成立に走りまわらなければならなかったからである。この時は十二指腸潰瘍になった。
前川が口走って問題となった「面従腹背」もそう簡単にできるわけではない。
拘束衣を着せられたような官僚生活を卒業して、いま、前川はこんな決意を固めている。『週刊朝日』の11月3日号での意思表明だが、「安倍政権下での改憲には反対」という前川は、
「それでも安倍首相が改憲を実行するというのなら、私も国会正門前に行ってデモに参加しますよ」と語っているのである。
ある種の気骨ある官僚として、前川は城山三郎が描いた『官僚たちの夏』(新潮文庫)の主人公、風越信吾のモデルとなった元通産(現・経産)事務次官の佐橋滋に擬せられる。
佐橋は次官になっても護憲を強調し、非武装中立の立場を崩さなかった。ために、政財界人から、
「あの主張だけはいただけん」
とヒンシュクを買ったが、死ぬまでそれを曲げなかった。日本興業銀行(現・みずほ)元会長の中山素平も護憲で、唯一と言っていいほど佐橋をかばったが、その意味では、前川は佐橋以来の護憲派の剛直官僚である。しかし、前川も佐橋も「異色」と呼ばれる。
コメント
コメント一覧 (3)
るーさんと管理人さんの高速共同作業です。ありがとうございます。
前川さんが若い頃、詩集にどんな絵を添えられたのか、想像しています。
今、本当のことだけを話せるようになって、本当のことだから、静かに伝わってくるのだと思います。
喜んでいいのか悪いのか。
前川喜平評執筆の佐高信の著書には、佐橋滋と中山素平は再々登場する。
その両巨人に前川喜平さんが若くして並び賞賛されている。
今後の活躍に、大いに期待します。
「全きいつわり」か「救い難い饒舌」か・・・・・そうそう!と我が青春時代が蘇ります。
前川さんの語りが、誠実さと実直さを感じさせるのは、そうした浮ついた「言葉」を拒否してこられた方だからなのかな?なんて思っています。
どんな社会的地位にあったとしても、やはりその人の「個」が滲み出るんですね。
週刊金曜日、早速買います。