中村哲さんが登場した時、満員の大ホールがリスペクトの温かい拍手に包まれました。
主義主張のためにではなく「いかに少ないお金で、いかに多くの人に恩恵があるか」ということを考え実行する超リアリストで、幼少の頃の論語の素読の影響が大きいという倫理観と誠実さを持つ方でした。

報告:ムツゴローさん

中村哲医師のことは知っていましたが、テレビの特集番組を見たことがあるぐらいで、著書に目を通したこともなく、講演を聞くのは初めてでした。静かな態度で諄々と話される様子は、活動家というよりは宗教家のような雰囲気でした。一つ一つの言葉が深くて重い。空海の話を聞いたことはありませんが、治山治水事業を通じて民衆を救済し、人々から親しまれた空海の業績と比べても決して引けを取らない人物だと思います。

心に残った言葉
●人道支援をしていくうえで大事なことは、相手のことをどう理解するか。
忍耐と努力と時間が必要、支援する側の物差しで善悪や優劣を評価したり判断したりしないこと。
●現地の人々の願いは一日3度の食事ができること、故郷で家族が一緒に暮らせること
●飢えと渇きは医療では治せない
●戦争する暇があったら食糧自給を支援すること
●欲望と安全は両立しない、人間と自然は折あっていかなければならない
(欲望を自然と調和させる必要)
●地球温暖化は洪水と渇水をもたらす。大量の雪解け水が洪水を招き、一気に水が流れることで地下に浸み込まないため地下水が涸れる。
●砂漠に緑が戻ると平均気温が10度ぐらい下がる
砂漠が緑の大地に変貌する映像が数回映し出されましたが、その都度聴衆から大きなどよめきの声が湧き起こりました。
東京サミットでこの映像をぜひ世界の首脳に見てもらいたい。
そして武力によるテロ対策が如何に愚かなものであるかを日本から発信してもらいたい。

報告:枯れ木さん

アフガニスタンはヒマラヤ山脈の西端に位置し、人口は2500万人、大半が敬虔なイスラム教徒。
いわゆる中央政府が国を統制しているというよりも多くの部族が存在し、多民族、多部族の集合体のような国。

ソビエトのアフガン侵攻前は、食糧自給率100%の豊かな国だった。
その後、アメリカの同時多発テロの報復と称し、アメリカと有志国がアフガン空爆、更に、大干ばつという天災もあり、豊かな大地は砂漠化し平穏な生活は一変、多くの飢餓、挙句大量の難民まで出てしまった。

食料自給率100%の豊かな国が、大国の思惑で、国土を破壊され、無辜の生活者の生きる権利まで脅かされる事態を作ってしまう。
このアフガンの悲劇に、当時の小泉政権もわるだくみに加担。
この事実は、日本人として記憶にとどめて置かなければと思う。

中村哲さんは、ソ連のアフガン侵攻(1979年)後、1984年にパキスタン北西部のアフガン国境に近い州の州都ペシャワールに赴任。
当初はハンセン病診療目的で貧困層の診療に携わる。
ここから哲さんの大活躍がスタート。

その後、ソ連のアフガン侵攻で、生活基盤を破壊され、戦乱を逃れるため、パキスタンへ難民が流入。
難民支援のための活動を開始。
1990年アフガンの医療過疎地に診療所を開設
1998年には恒久診療基地としてペシャワールにPMS(アフガンメデイカルサービス)を開設。
更にアフガンには大干ばつという不幸が訪れる。(2000年)

飢餓を目の当たりにし、医療の限界を痛感。
水さえあれば、病気を防ぎ、破壊された農地の復興も可能となり、生活の基盤ができるとと考え、井戸掘りから始まり、用水路の建設に行きつく。

2003年から灌漑用水路の掘削を開始。
その際、先進土木技術を駆使するのではなく現地の人の手で、現地の材料で、現地の古くから伝わる技術を駆使し建設。
後々現地の人でメンテナンスが継続されるためということで、イチイチ納得できる。

結果、戦乱、干ばつで荒れた農地の復興に留まらず、砂漠の農地化も実現。
水が安定的に確保されたため、畜産も可能になり、魚の養殖まで事業化されるそうです。
そのほか、生活基盤が確保されたことで15万人の難民が帰還、村が再生。
農村の要であるモスクと学校の建設も始まったそうです。
副次的に、女性と子供が水汲み作業から解放されたという。

現在8ヶ所目に取り掛かり、2020年には16,000haの灌漑を可能にし、約65万人の生活をまもることが可能になるそうです。
更に、この事業が将来的に永続するために熟練技術者の育成に取り組み、全国展開も視野にあるそうです。

又この事業の資金、25億円がほとんどが寄付で賄われてきたことも驚きです。
逆に、たった25億円でこんな壮大な人の命を護る事業が出来ることも驚きです。
オスプレイ一機で何人すくわれるかと思うと惨憺たる気持ちになります。

最後の中村哲さんの言葉は胸に沁みました。

 人と自然が折り合うこと、人と人が和解すること。
 人間は、自然からの取り分をわきまえ、むさぼらない。
 欲望と安全は両立しない
 武器で命は守れない。

 テロとの戦いは武力行使ではなく、人道支援で根絶できる。
 飢えと渇きさえ克服すれば、本来ヒトは争わない。

ケンちゃんのコメントより

私は、何年か前に練馬で2度お話を伺ったことがあるので、今回で3回目でした。
過去2回に比べると、中村哲さんはムツゴローさんの言われる
『活動家というよりも宗教家』の度合いがさらに強まった感じがします。

運営上ちょっと残念だったのは、哲さんの講演が1時間しかなかったこと。
(質疑応答が長すぎ)
過去2回の練馬の講演会では、哲さんの話の時間をたっぷり取ってあったので
「100の病院よりも1本の水路を」と考えるに至った経過や取り組みが細かく話されました。
そして、砂漠が緑豊かな農村に変わっていく姿が、今回は使用前ー使用後みたいな簡単な説明しかなかったのですが、練馬の時は複数の写真を使い、徐々に変わっていく姿を見ると本当に感動しました。
また、水路が開かれ水が流れ出す瞬間のアフガンの人たちの喜びが複数枚の写真と説明で
大きな感動を呼びました。今回は少しインパクトが弱かった?と思いますが、
1,450人もの人が集まり(開場を一緒に待っていた親子は飯能から来たとのことでした)
中村さんの話に感動し、いろいろ考えたことは素晴らしいことだと思いました。

中村哲さんと澤地久枝さんの共著
「アフガンとの約束」ー人は愛するに足り、真心は信ずるに足るーはお薦めです。
人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束

中村哲という人間がいかにして誕生したかという生い立ち、5人の子どもとの奮闘記
そして、ペシャワール会の仲間の伊藤和也さんが拉致され、殺害された事件など
淡々とした語りですが、心にしみていきます。

『アフガンで一番邪魔なのは軍服を着た人々。自衛隊も制服でやってくれば明らかに敵とみなされる』

『様々な人や出来事との出会い、そしてそれに自分がどう応えるかで、行く末が定められてゆきます。私たち個人のどんな小さな出来事も、時と場所を超えて縦横無尽、有機的に結ばれています。
そして、そこに人の意思を超えた神聖なものを感ぜざるを得ません。
この広大な縁の世界で、誰であっても、無意味な生命や人生は、決してありません。
私たちに分からないだけです』

『「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない。
誠実こそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。
私たちは、いとも安易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる』         


だいたい同じ内容のお話がこちらにアップされています。
 ↓
中村哲先生特別講演会「蘇る!アフガニスタン大地と暮らしの物語」
全編@明治学院大学(2016.06.21) -
https://www.youtube.com/watch?v=YIdMIzwMnx8

※今回の動画がアップされましたら差し替えます。

こちらで「現地で活動を続けさせたもの」について語られています。
 ↓
ペシャワール会 中村哲医師に聞く。共に生きるための憲法と人道支援 <前編> 
http://sealdspost.com/archives/5388

中村 いきさつですか。あまり大した理由はないんですよ。
私は1978年、ヒンズークッシュ遠征隊の山岳隊員として現地に行きました。山や昆虫に興味があったのです。それが初めてでしたが、何年かして、たまたまそこで働いてくれないかという話があって、喜んで乗ったのです。山登りがきっかけで、あの地域が気に入ったということです。その時は「人道支援」なんて大きなことは考えていなかった。
1983年当時発足した「ハンセン病コントロール計画」への協力が主な任務でした。初めはあそこで働いてみたいという単純な動機でしたが、次から次へといろんな出来事があって、帰るに帰られず、つい活動が長くなってしまったのです。

ペシャワール会 中村哲医師に聞く。共に生きるための憲法と人道支援 <後編>
http://sealdspost.com/archives/5543


写真撮影は許可された方のみということで休憩時間の舞台と配布資料です。
cats


加藤登紀子さんの推薦

講演のはじめに、この番組のダイジェストが流されました。



今回の講演は実行委員会形式で16団体が参加し、
埼玉会館の大ホールが満席でロビーで音声を聞いた方もいて1,450名の参加。
収益はすべてペシャワール会に寄付されるとのことです。